更新日 2022年10月2日
執筆 遠藤徹
1.近代日本における音楽学の黎明
大政奉還を経て王政復古の大号令のもとに誕生した明治政府は、新たな近代国家の基礎となる教育制度を整えるべく明治5年(1872)に学制を頒布し、小学校に「唱歌」、中学校に「奏楽」 を設定します。しかし教えるべき教科の内容が定まっていなかったため、すぐには実施できず、「当分之を欠く」と注記されました。
当時の日本には、雅楽、能、浄瑠璃、地歌、箏曲など多様な音楽がありましたが、雅楽や能は当時の人々にとっても昔の音楽であり、一般に内容が高尚すぎると思われていました。一方、江戸時代にはじまる浄瑠璃、地歌、箏曲などは世間に広まっていましたが、これらは反対に卑俗なものとみなされていました。
そのため、いずれもそのまま学校教育に採用できるものとは考えられませんでした。こうしたことを背景に、明治時代の先人達は新時代に即応した「国楽」を新たに作り上げるという目標を設定します。そして明治政府は明治12年(1879)に音楽取調掛を設置し、国楽を興すことを目標に次の3つの課題を掲げて事業を進めることになります。
・東西二洋の音楽を折衷して新曲を作ること
・将来国楽を興すことができる人物を養成すること
・諸学校に音楽を実施すること
東西二洋の音楽を折衷して新曲を作るためには、東西の音楽の異なる点と共通点を見出すことが不可欠となります。そこで西洋音楽、日本音楽の学問的な比較研究がなされるようになったわけです。その際に、日本音楽は口伝や独自の楽譜で伝承されてきたため、五線譜を作成(採譜または訳譜)して、精密、明瞭に曲調を記述し、その上で比較考察を行うことが目指されました。国楽を興すべき人材には、理論と実践の双方に通じる必要があると考えられ、伝習人の科目は、修身、唱歌、洋琴(ピアノ)、風琴(オルガン)、箏、胡弓、西洋の管弦楽器、和声学、音楽論、音楽史、音楽教授法および修身からなり、音楽理論も重視されました。諸学校に音楽を実施するにあたっては、唱歌を作成することはもとより、唱歌掛図、唱歌本、唱歌教授法などが編纂され、唱歌の伴奏用の楽器の改造・試製などもなされました。その他に俗曲の改良も試みられました。
このように音楽取調掛の行った事業は調査研究に止まらず音楽教育の実践にまで及ぶものでした。音楽取調掛の当初の成果は伊沢修二編『音楽取調成績申報書』にみることができます。それによると後の音楽学の展開に照らし合わせて、少なくとも次の3点は近代の音楽学の萌芽に位置づけられるものといえます。
①音律・音階の比較研究 (「内外音律ノ異同研究ノ事」「本邦音階ノ事」「希臘楽律ノ事」など)
西洋音楽の音律・音階の知識がもたらされたことから、それらと日本の音律、音階の対応関係が吟味されるようになりました。そして音律はいずれも十二の音律からなることから、「毫も異なる所なし(全く異なるところはない)」というのが音楽取調掛の出した結論でした。その検証にあたっては、ヘルムホルツ(1821-1894)等の西洋の物理学者による音楽理論(協和音程の数理)にもとづきつつ、山田流箏曲家の山勢松韻が実際に使用している音律で確認する実験が行われています。
その後、明治前期には物理学を学んだ学者による音響研究が展開していくことになります。なお、明治28年(1895)には上原六四郎(1848-1913)によって俗楽の旋法を理論付けた『俗楽旋律考』が著されますが、上原六四郎も音楽取調掛の一員でした。
②音楽史の記述(「音楽沿革大綱」など)
インドを起源とする音楽が、西方ではエジプト、ギリシャ、欧州へと伝播し、東方では中国、日本へと伝播したとする構想の下に、東西の音楽の沿革が概観されています。ここでは立論の細部には立ち入りませんが、西洋の音楽学者のカール・エンゲル(1818-1882)、ジョン・ハラ(1812-1884)等の舶来の書物から得た西洋音楽史の知識と、日本や中国の古文献や伊藤東涯(1670-1736)、新井白石(1657-1725)等の江戸時代の学者の著した書物にもとづく東洋音楽史をつなぎ合わせて世界音楽史が構想され、その中に日本音楽史が位置付けられていることは注目に値します。
世界音楽史はその後、日本の音楽学の中ではほとんど進展していませんが、日本音楽史、東洋音楽史・アジア音楽史、西洋音楽史など、音楽史の研究は音楽学の主要な柱となり個別の研究が深められていくことになります。
③音楽の効用・意義の探究(「音楽ト教育トノ関係(長短二音階ノ関係、道徳上ノ関係)」など)
長音階と短音階を比較し、長音階は勇壮活発、短音階は柔弱憂鬱なものとされ、教育上に用いるべきは長音階と結論付けられています。また道徳上の関係については、音楽は人性の自然に基づくもので、身を修め俗を易うるのに音楽より良いものはなく、雅正の音楽は人の心のうちに最高の感情を発動し、邪欲を捨て去り心根を清浄にするという伝統的な音楽観(後述)を、ナポレオンの「音楽は人情上に至大の感化を興し、人心上に非常の勢力を及ぼすものなり。(中略)名家の作に係る道徳上の歌曲は、深く人心を感動せしむること、道徳を論ずる書の、唯智力に訴うるものの比にあらざるなり」という言で補強して、音楽の効用や意義が説かれています。ここも立論の細部には立ち入りませんが、音楽と人の心の関係の考察は、音楽学の重要な課題の一といえます。
このように近代日本の音楽学は新たに開始された学校教育に相応しい唱歌の作成という課題と
連動する形で始まりました。